邪馬台国とは

邪馬台国とは「魏志倭人伝」(三国志の魏書の東夷伝の倭人条)に記されていて、邪馬台国は弥生時代の2〜3世紀に日本にあったと推定されている倭人の国の事です。邪馬台国は女王が治めていたことから魏志倭人伝では女王国とも記されています。邪馬台国は他の倭人の国を政治的に統御する盟主として記録されています。邪馬台国の邪馬台の読みは、「やまと」の古音を漢字で音訳したもので、本来は「やまと」のように読むべきものと考えられますが、後の大和政権との区別などのために「やまたい」と読まれることが多いようです。邪馬台国の位置論は、地理的な位置に関する論議も長く行われており、邪馬台国の位置の主な説は「九州説」と「大和説」があり、「大和説」の中には後の大和政権との関連性を唱えるいる研究者も多いのですが、何れの説も証拠不十分で定説を見ないのです。

邪馬台国の卑弥呼について

邪馬台国は元々男王が治めていましたが、邪馬台国の国家成立から70〜80年後、倭国全体で長期間にわたる騒乱が起きたのです。(倭国大乱)邪馬台国もその影響を逃れえず、卑弥呼という女子を邪馬台国の王に共立することによって、ようやく混乱が収まったとされています。卑弥呼の弟が卑弥呼を補佐し邪馬台国を治めていました。卑弥呼は魏に使節を派遣し親魏倭王の称号を得ています。邪馬台国は248年頃、狗奴国との戦いの最中に卑弥呼が死去し、邪馬台国の卑弥呼の後継には親族の台与が女王に即位したとされています。「魏志倭人伝」によると、邪馬台国の卑弥呼は鬼道で衆を惑わしていたといいます。この鬼道や惑の意味には諸説あるが正確な内容については不明です。邪馬台国の卑弥呼が死亡したときには、倭人は直径百余歩もある大きな塚を作り、奴婢百余人を殉葬したとされています。

まぼろしの邪馬台国とは

まぼろしの邪馬台国は宮崎康平さんの著作で電子書籍でダウンロードも出来るようです。邪馬台国はどこにあったのかという事から始まる、かつての邪馬台国ブームを作ったベストセラーなんです。そこでは女王の卑弥呼は謎に包まれているとされています。その謎に魅了された人達の集まりがありました。邪馬台国の会といいます。この会は昭和58年に発足されました。日本古代史愛好家が集まり、毎月の定例会で安本美典氏の講演や、邪馬台国の最新の話題についての解説などを行なっているようです。それに対して全く別の観点から邪馬台国のカニがあります。これは食い倒れの街の大阪のミナミにあるお店の名前が邪馬台国ということです。他にも活ふぐや馬刺しも、カニと共に美味しく頂けるようですね。今や邪馬台国というと歴史かこちらのお店かというくらい注目されているのですね。

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